<顕宗は長子じゃない!? 「チャン・オクチョン」 あらすじ 7話 補足>

2016年6月13日

「チャンオクチョン(張玉貞)」の7話で粛宗の父である顕宗が崩御しました。その後、「余は長子でないことを理由に非難されたが・・・」といった顕宗の言葉が読み上げられる場面があります。

私はGyao!での24話版もテレビドラマ版の35話版も見ているのですが、どちらも字幕では「余は長子でない」となっていたと記憶しています。ここで「ん?」となったのが、顕宗は長男だった気がするけど・・・ということです。下記の家系図をご覧ください。(他のドラマでつくった系図をこのドラマ用にちゃちゃっとつくりかえたので、バランスがヘンだったり、もしかしたら誤字などがあるかもしれませんがお許しを)

okutyon_keizu

これを見る限り、顕宗の父上である孝宗のお妃さまは一人だけ。息子も顕宗だけだったようなのです。なので、どうして「長子でない」なのかが私にはよくわかりません。もしかしたら私が何かを見落としているのかもしれません(そのときは申し訳ありません)。正確な訳を知りたい気がしますね。

長男でないのに王座にのぼった人といえば、その前の世代ですね。政変で光海君から王座をうばった仁祖は、その後、清国に屈するという屈辱を味わいました。人質にとられた長男(昭顕世子)が帰国してみたら、にっくき清国にそまっている!許せない!となり、始末したとされています。そのときに王位継承権が二男に移っており、それが顕宗の父上です。

ちなみに「チャンオクチョン」に登場する大王大妃(荘烈王后)は、粛宗からするとひーおばあちゃんの代にあたるお方です。が、まったく血のつながりはありません。系図をご覧いただくとわかるように、仁祖が迎えた二人目の正妃であり、王位を継承したのは一番目の王妃の血筋だからです。しかも仁祖は側室を寵愛していたので、荘烈王后はさびしい立場だったようです。

そして話がそれますが、顕宗といえば側室がいなかった王として有名です。いえ、有名かどうかはよくわかりませんが、うめ子的には顕宗から連想する最大かつ唯一のポイントでもあります。思えば明聖王后は、世子嬪から王妃に順当にのぼり(これすらかなわない方も多い)、夫に側室はおらず、息子を産み、一人ではありますが健康な息子だったので順調に成長して王になり(これも当時ではありがたいことでしょう)、一人息子ゆえに兄弟間での血を見る争いはなく、いろいろあったけど政争に口をはさみまくることもでき、夫亡き後は王の生母として国中のオンナの頂点に立って権力をふるい、息子の代以降はとりあえず政変はなく血筋が継がれた・・・。そう思うと、李氏朝鮮の中ではわりと幸せなお妃さまだったのではないかな~と思います。

スポンサーリンク