<王の側室の孫だった宣祖 「王の顔」 あらすじ 1話 補足>

おもしろそうな予感が漂う第1話でした!ここで、時代背景をさくっとおさらいしておこうと思います。

「女人天下」や「チャングムの誓い」に登場した中宗が最後に迎えた王妃は文定王后でした。チャングムでは強くて頼りがいのある女傑という感じで、わりといいふうに描かれていましたが、歴史的には「稀代の悪后」として知られる女性です。

彼女は先妻の息子だった仁宗に毒を盛ったともされ、とにもかくにも自分の息子を即位させました。これが明宗です。とはいえ明宗は自分の思うように政治ができたわけではなく、文定王后の好き放題にされ、母に逆らうこともできず、朝廷は文定王后の家門であるユン氏一族やその取り巻きに掌握されていました。

やっと(という言い方はヘンですが)母が天に召されたと思ったら、その2年後に明宗も没してしまいます。彼と仁順王后シム氏の間には世子がいましたが、幼くしてこの世を去っていたため、直系の息子はおらず、王族の中から世継ぎを探すしかありませんでした。

こうして明宗の後を継いだのが、後に宣祖(ソンジョ)となる河城(ハソン)君でした。彼は中宗の側室だった昌嬪アン氏の孫。文定王后が昌嬪や河城君を可愛がっていたそうなので、宮殿への出入りも多く親しくしていたのであろうと思われます。

というか、本当に可愛がっていたかは知りません。文定王后にとって、功臣の娘だった他の側室とは敵対関係にあっても、女官出身の位の低い昌嬪のことは敵ではなかったのではないかと(昌嬪が「嬪」になったのはずいぶん後です)。話し相手として気を許してそばにおいて、中宗の死後も宮殿に住まわして、すると彼女の孫の河城君も出入りして親しくなって・・・という流れで、王族の中では最も親しくしていたのかなと勝手に想像しています。

そして、光海(クァンヘ)君も王妃の息子ではなく、生母は宣祖側室の恭嬪(コンビン)キム氏です。恭嬪の後に寵愛を受けて権力を握ったのが、子だくさんの仁嬪(インビン)キム氏でした。

臣下の対立や倭寇などで受難続きの宣祖の治世にあって、光海君はその有能さを発揮した人物であったと伝えられています。しかし、側室の子でしかも次男であったことから、兄の臨海(イムヘ)君や、仁嬪が生んだ異母兄弟、ずっと後にできる年の離れた弟・永昌大君との小競り合いが絶えず、いろいろあってお気の毒な人生を歩むことになります。

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